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安全と安心って言うけれど

 投稿者:ToMo  投稿日:2017年 9月18日(月)22時47分58秒
   金曜日から2泊3日でNPOの研修塾のため福島へ行ってきました。在宅介護を巡る問題という重いテーマでしたが、今日はそのことは置いておきます。2日目の午前中、福島のロータリークラブの会員で政府の主催した復興会議でも福島県富岡町や浪江町双葉町などの状況と真剣な復興対策を訴えたTさんから「福島原発事故がもたらしたもの」という題で1時間話してもらいました。汚染地域の指定・解除に際して、事故前は年間被爆量1ミリシーベルトだったものが事故後は20ミリシーベルトに引き上げられたことの不当性、風評被害の問題等々、重いお話しでした。
 殊に、風評被害の問題。皆さんは食品中の残存放射線の基準値を知っていますか? 日本の飲料水は1キログラム当たり20ベクレル(Bq)未満(以下かも)、対してEUとUSAは1000Bq,牛乳は日本50Bq、EUとUSAはやはり1000Bq、一般食品は日本100Bqに対してEU1000Bq、USAは1200Bqだそうです。(もちろん、EUやUSAの基準値で輸入を認めることはないだろうと調べてみたら、370Bqで規制しているそうです。日本の基準を適用すると貿易摩擦が起きるのでしょうね。)
 福島の農産物・加工品も日本の基準を満たした物だけが出荷を認められています。しかし未だに「福島の物は放射能汚染が怖い」と言って買わず、より危険な輸入食品はありがたがって買っている人が大勢いるようです。無知の怖さということでしょうか。実際には他の46都道府県以上に厳しく実施されている残存放射線量の検査に合格した福島の農水産物・加工品が最も安全で安心できる食品なのかもしれません。(続く)
 
 
 

そうだったか

 投稿者:尼ヶ淵是閑  投稿日:2017年 9月14日(木)11時58分29秒
  三好達治とはね。そう言われればそんな気も。
半世紀ぶりの疑問氷解、ToMoくん、ありがとう!
 

?

 投稿者:ToMo  投稿日:2017年 9月13日(水)22時16分4秒
  先ほどの書き込みの中の?はスペースです。どういうわけか、?に化けてしまいました。  

三好達治の詩の一節です

 投稿者:ToMo  投稿日:2017年 9月13日(水)21時34分43秒
  郷愁 (三好達治)
?
蝶のような私の郷愁!…….。
蝶はいくつか籬(まがき)を越え、午後の街角に海を見る…….。
私は壁に海を聴く…….。私は本を閉じる。
私は壁に凭れる。隣の部屋で二時が打つ。
「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。
――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。
そして母よ、仏蘭西人(フランス)の言葉では、あなたの中に海がある。」
?高校生の時に授業で聞いたような気がするのですが、気がするだけかも……。三好の傑作の一つだと思いますが、最後の2行だけの作品みたいに誤解している人が多いようです。
 

その昔

 投稿者:尼ヶ淵是閑  投稿日:2017年 9月 9日(土)12時16分14秒
  大学に入ってフランス語を習い始めた頃
日本語じゃ海の中に母がいるけどフランス語じゃ母の中に海があるんだぜと
フランス語に縁のなさそうな旧友を見つけては吹聴したことがあった。
それを繰り返すのも気恥ずかしいが、漢字の「海」の中には確かに「母」がおわします。
一方のフランス語で母はMEREと綴り、そのなかのMERが海を意味する女性名詞。
元は西条八十か堀口大学が言い出したようだが、確認したことはないし、そのすべもない。
小鮒の甘露煮が佐久の家庭の味らしいことは数年前に初めて知って初めて食べた。
同じ千曲川の少しばかり下流の上田ではまったく聞いたことがなかった。
そこで1㎏1980円の小鮒を買い求めTOMOくんのアドバイスに従ってことこと煮詰め
味見もそこそこに「スープの冷めない距離」の母親に献上したところ「おいしい」と言ってくれた。
これでようやくなんとか「小鮒」と「母」がつながったようだ。オシマイ
 

「母の愛」は海よりも深いって、

 投稿者:kn.  投稿日:2017年 9月 8日(金)11時39分56秒
   言われますから。
ほとんど応えられなかった私。高い処から笑っているでしょう。

 定演鑑賞の無理強いをするようで気が引けています。受け取っていただいてありがとう。
難しい演目もなかにありますが、応援をしてもらって頑張れます。

 きょう手持ちのチケットは全て終了しました。
あとは実行委員にお願いして手配するようになります。

 佐久地方の小鮒がスーパーで7日にもあったようですが、今日見るとまったくありませんでした。たぶんJA浅間に行けばもしかしたら入手できるかもしれません。

 買い物の序にパック詰めの調理済みのものを購入してきました。
母の煮たものは結構濃い目の味付けでした。お酒がいけるくちだったらしみじみ思い出しながら味わえるのですが。
 

とうみ混声合唱団の定演のチケット

 投稿者:きょう  投稿日:2017年 9月 8日(金)10時30分57秒
  kn.さん、ありがとうございます。
二枚!
誰を誘おうかしら、、、小諸の同期二人をお誘いしてみますね。
二人ともダメだったら、腰の重い連れ合いを引っ張り出してみます、せっかくの二枚ですから。(^_-)
ドラゴンさんには、近くなったら足のお願いの連絡をさせていただくかもしれません、その時にはよろしくお願いします。

鮒の甘露煮の思い出。
ToMoさんが書いているように、暗い話ではないですよ。
私は、反対に、良かった良かったと思いました。
元気になって、お母さんは安心したでしょうね、子供が先にいくなんて耐えられませんもの。
きっとあの甘露煮の力だと思いましたよ、母の愛ですよ。
 

みんな、ありがとう

 投稿者:ToMo  投稿日:2017年 9月 3日(日)22時36分36秒
   昨夜から今日、小鮒にかかりっきりで、掲示板を見るのが遅くなってしまいました。knさん、鍋の心配いただいてありがとうございました。大きな鍋はありました。昔は冠婚葬祭・人寄せは自宅で行うのが普通だったので什器や鍋類は我が家にも沢山ありました。例えば湯のみなら100個ぐらい、アルミ鍋も50~60㎝の物が幾つもありました。煮拗(にこじ)やらにゅう麺やらを一度に何十人分も作るためです。しかし時代も変わり、8年前に実家をリフォームした時にほとんど捨てたので、手持ちの中でも一番大きな鍋に、5㎏の鮒が入るか不安だったのです。
 結果で言えば入ったのですが、入りきらずに小分けした方が後が楽だったかなと、横着したことを若干後悔しています。
 Uチューブも聞きました。この前生のステージを聴いてしまっただけに物足りない感じでした。
 尼ヶ淵のおいらさん、結局電話でのやりとりになりましたが、成功しましたか?1~2㎏が適量かなと感じています。
 またknさんに戻りますが、闘病期の話題が出たからといって暗い話題だとは思いませんよ。むしろ現在の元気な状態になったという明るい話と思っています。みんなが思うように書き込んで構わない場所だから、誰かを傷つけたりしたのでなければ謝る必要もないということで。
 

小鮒の甘露煮

 投稿者:尼ヶ淵是閑  投稿日:2017年 9月 3日(日)11時06分13秒
  何年か前にお裾分けをいただいたことがありますが、おいらも挑戦したくなりました。
店は西友佐久野沢店でしょうか?
それと初心者向けにTOMO風レシピのポイントを教えていただければ幸いです。
 

無題

 投稿者:kn.  投稿日:2017年 9月 3日(日)09時54分34秒
   日々作文を書くことに努力をしていないので、書き終えたものを読み返すと
書かなければよかったと後悔するばかりです。

 折角明るい話題にというところを、腰を折るような事もしてすみません。

ならば、おとなしくしていればよいものを、
日頃の活動の紹介ということで、ユーチューブの画像を載せたいと思いました。

8月中旬、小さな演奏会に男声合唱御団の仲間有志と一緒に歌ったときの
「希望の島」です。

主催された方が撮ってくれて、送ってもらったものをユーチューブ用に手を加えました。
音声は小さ目です。自分の実力がこの程度だったのかと、大分へこみましたが、
一緒に歌えることの喜びの方を大事にせねばと、思い直したりもしました。

よろしければ御視聴をお願いします。↓のURLをクッリクしてください。

   https://youtu.be/6unbDWbTV84
 

小鮒甘露煮は、

 投稿者:kn.  投稿日:2017年 9月 2日(土)15時57分47秒
編集済
   私んちでは今やその味は継承されませんでした。

稲穂が黄金色を深めて穂先が重くなり垂れてくる頃、
やっと病室の生活から解放されて、家に戻る事となる一週間まえに
ベッドでの病院食だけでは、と言って小さなタッパーに入った小鮒の甘露煮が届きました。

 大きさは2センチにも満たない小さな小鮒でしたが、一つ二つ箸で運ぶだけでもやっとの
消化力しかありませんでした。

 それから八年が経って消化力はほどほどに復旧しました。

「小鮒の甘露煮」と聞くと母親の顔を思い浮かべ有難さを感じます。

 (写真はきのうの浅間山です。今年の夏はすっきり晴れたときの浅間山を見ることは、ほとんどありませんでした。)


 

調理用アルミ鍋

 投稿者:kn  投稿日:2017年 9月 2日(土)08時16分26秒
  口径28センチがあります。
未調理でしたら、龍氏経由でknまで御連絡ください。
お持ちいたします。
それよりも、西友でお渡ししましょうか?
 

今日から小鮒の販売が

 投稿者:ToMo  投稿日:2017年 9月 1日(金)18時00分2秒
   始まるという予告を29日に西友で見て、明日5㎏購入する予約をしてきました。毎年のことですが、甘露煮に使う日本酒と砂糖、醤油も一緒に買うと荷物が重く、大量になりすぎると考えて、今日それらを買いに行きました。結局小鮒も3㎏買ってきて昼から甘露煮作りに励んでいます。今年の鮒は、まだ売り出したばかりだからか、3~4㎝のものが多くとても良い状態です。小鮒は1㎏1970円と重さ売りなので、もう一回り大きく育てた方が生産者の収入につながるのでしょうし、出来上がった甘露煮を壊さないように一匹ずつ鍋から移していく作業も楽なのですが、私は今日くらいのサイズが好みです。去年は6㎝以上に育ったものが多くて、がっかりしていたので、今日は本当に嬉しかったですねぇ。
 やってしまってから気が付いたこと。5㎏も一度に煮ることができる大鍋が家に有ったかしらん?
 

後でゆっくりと読みますが

 投稿者:ToMo  投稿日:2017年 8月27日(日)23時12分35秒
  きょうさん、大層長い手記、読みでも重みもありそうですね。先ほどお義母さんの手記だけプリントアウトしました。私たちの世代は多かれ少なかれ同様の経験は持っている人が多いのでしょうが、きょうさんの義父母の場合は特別重そうですね。
 私の伯母(父の姉)は若き日、ブラジル移民を両親に願ったということですが、」二度と会えなくなると言われ、それなら近い所へ行くと言って満州へ渡ったということです。伯父(母の兄)と現地で結婚し3児をもうけました。終戦間際伯父は招集され、シベリア抑留の後帰国しましたが、伯母と子どもたちの消息は今に至るまで不明です。私には顔も知らない伯母と従兄姉がもしかしたら何処かに生きているかもしれないということですね。その後伯父は妻の妹(これも父の姉)と再婚し、父は伯父の妹と結婚しました。当時は良くあったことのようです。
 ついでに、私の父は実は戦死しているのです。母と結婚する前、戦死の公報が伝えられ葬式も済ませたあとで帰還したということです。そういう人は長生きする、などと俗に言いますが、父は私が大学を卒業した年の秋に他界しました。私の一つ違いの弟は、その4か月近く前、8月の鎌倉で帰らぬ人となりました。もう45年も経ってしまいました。
 この次は、明るい話題にしますね。
 

シベリア抑留・・・

 投稿者:ドラゴン  投稿日:2017年 8月27日(日)22時55分55秒
   キョウさんの紹介された鎌塚さんのシベリアのお話を読んでるうちに
(まだ少しですが)、ある画家のことを思い出しました。戦争体験を表した
画家や彫刻家はこれまでもたくさんいますが、その画家は独特です。

 ご存知の方も多いと思いますが、それは香月泰男という画家です。
シベリアに抑留された体験を日本に帰国できた後、黒と黄土色を基調と
した絵画として表しています。油絵の具に方解末や木炭を混ぜて、陶器の
ような独特な象徴的、抽象的な表現をしています。それは見る人に深く
伝わる感じがします。

 50数点のそれらの作品はシベリア・シリーズと名づけられ、僕も
本物をいくつか見たことがありますが、現在は彼の生地の山口県?市
(ど忘れ)に彼の美術館があり、展示されているはずです。(場合に
よっては山口県立美術館か?)

 そのシベリアシリーズの作品で、僕は“ダモイ”という言葉も知り
ました。
・・僕の力ではここに彼の作品写真を入れられませんので、どうぞ
調べてみてくださいな。

 香月のそのシベリアシリーズ以外の日常の生活などを表した作品は、
どの作品を見ても心に響きます。母子の姿でも、山や月の絵、また
動物たち、野辺の花々でも。その香月しか表せない世界というか、香月
だからこそ表せたんだなと感じられる絵ばかりです。彼の作ったオモチャ
も魅力的です。

 そんなことから、作品は人だなぁとつくづく思えます。さらに映像に
しては伝わりきらない、生の画肌(マチエール)にこそ意味があるという
ことも・・・。

 他にもシベリアの抑留を語る彫刻家、故佐藤忠良や、戦争を語る野見山
暁治などいますが、数多くの作家がそれぞれの表し方で戦争を表現して
いますよね。ダイレクトに原爆の絵を描いてる丸木位里夫妻などもいますが、
そうした作品もいろいろ語りたいのですが、今回はこの辺で。

 逆に戦争画を描いた藤田嗣治の日本に返還されたいくつかの大作を昨年
国立近代美術館で、僕も見ましたが、こうして作品が残されていて、目に
触れることができるということの大事さをとても思いました。(その藤田を
どうとらえるかということはまた別として・・)

 さてどうまとめておしまいにしたらいいのかよくわからなくなりましたが、
とりあえず以上です。
 

お別れを次々に言っていって、

 投稿者:きょう  投稿日:2017年 8月24日(木)09時12分46秒
  最後に自分が全ての人達物達と別れるんですよね。
できれば順繰りであって欲しい。
妹が先に逝って欲しくなかった、と、今でも思います。

もう一人の妹、コストコ妹の義父と義母が、20年以上前に書いたもの。
やっとお二人の手記を揃ってアップできました。
義父の手記
http://music.geocities.jp/dancing_miyu/hisasi-san/hisasi-san1/hisasi-san10.html#ue
義母の手記
http://music.geocities.jp/dancing_miyu/sueko-san/sueko-san01.html#ue
この義父の他に、私には身近に叔父など二人のシペリヤからの帰還者がいました。
二人とも当時の話はほとんどしませんでした。
そして、三人とも、もういません。
妹の娘達やその子供達、それに我が息子が、知りたいなと思ったときに読んでもらえるよう、ネットに永久保存です。
よかったら読んでみてください。
 

スイス旅行の

 投稿者:ToMo  投稿日:2017年 8月21日(月)22時54分6秒
  写真を載せますと言って、直ぐに中断してしまいました。心苦しくはあったのですが。書けませんでした。
  どうぞ なみなみ つがせておくれ
  このさかづきを 干してくれ
  花に嵐のたとえもあるぞ
  さよならだけが人生だ
 昔、人口に膾炙した井伏鱒二の名訳を、うろ覚えのままに書き記しました。
 あのスイスの旅に同行し、「また近いうちに」と成田でお別れした大阪のM氏とは、それが終の別れとなってしまいました。7月6日に帰国し、11日に作物に水やりしていて倒れ、不帰の人と成ってしまったということです。
 衝撃の大きさに、今年のスイス旅行について書き込む気になれませんでした。
 今年は卒業50年と言うことで、各クラス、また学年、関東も、同級会・同期会が開かれるようですね。(学年は、私も幹事の端くれでした。)お互い何があっても不思議ではない年齢、会える時に会っておきましょうね。と殊勝らしいことをかきながら、今週25日の大学教養のクラス会には欠席する私です。(来客予定なのです。)
  
 

昨晩のNHKスペシャル

 投稿者:kn.  投稿日:2017年 8月16日(水)22時52分50秒
   http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170815
「戦慄の記録 インパール」↑を観ました。師団長付きの方の証言がとても痛々しくて、たまらなかったですね。

 同じ言葉で検索すると、数年前にも同じテーマの番組が複数あるようでした。そのうちの一つは↓にありますが、こちらに紹介されている証言も、痛ましい事実がたくさん聞くことができます。
 http://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/vol6.html

また、「原爆死~ヒロシマ72年目の真実~」も、データーの解析の凄さが際立っているように感じました。

 http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170806



 
 

「核兵器廃絶もとめる署名」を

 投稿者:kn...  投稿日:2017年 8月11日(金)22時38分22秒
編集済
   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170811/k10011097091000.html?utm_int=news-social_contents_list-items_011

 高校生が集め21万4千3百人に上ったーというニュースを観て、「リア充」(意味充分に解らずに記述)リアルに充足していると思いました。

 シルバー(私?)も頑張らなければね。
 

見ていただいてありがとう

 投稿者:きょう  投稿日:2017年 8月 9日(水)12時10分10秒
編集済
  「ソプラノとアルト」?なんだっけ、、、って鈍感な私ですみません。
妹の義母が、「ソプラノのお友達」と言ってましたね。
義母は、あのまま、穏やかな優しい方です。
これからも静かな日々が長く続いて欲しいと思います。
この取材の影響か、最近ちょっと日付やらの混乱が激しいと、妹夫婦が心配してました。
昔の悲しいことを思い出す事は大変なことですね、大きなトラウマなのでしょう。

下は、被爆体験を20年ほど前に手記にしていて(その時私達も読ませてもらってるのですが)、それをネットにも上げておいたのですが、今回、皆さんにも読んでいただいて良いと、義弟から承諾をもらったので、よかったら、、、
http://music.geocities.jp/dancing_miyu/sueko-san/sueko-san01.html

今日は長崎。
沖縄、広島、長崎、そして15日まで、その間にも沢山の人達が亡くなりましたね。


「リヤ充」
自分では使いませんが、知ってましたよ。
リアルな生活が充実している、とか。
 

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