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聖書の矛盾

 投稿者:ミスラ  投稿日:2014年10月 3日(金)02時49分59秒
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  デタラメな記述が目立つと思い書き込みさせていただきます。
聖書が歴史であるとは欧米では今はあまり考えられていません。

●イエスの処刑日はいつ
1) 過越祭当日の午前九時(第三時) (マルコ15:25)
2) 過越祭前日の正午(第六時) (ヨハネ19:14)
『さて、それは過ぎ越しの準備の日であり、第六時ごろであった。それから彼はユダヤ人たちに言った。「見なさい。あなた方の王だ!」』(ヨハネ伝)

これは神学的変更と見られ、「矛盾」に違いないのではないでしょうか。
ヨハネ伝のみ祭りの食事をせずに処刑を迎えます。

●墓に行った女が会ったのは(WHO)?
マタイ「石に座る天使がいる」(マタ28:2)
マルコ「中に座っている青年がいる」(マル16:5)
ルカ「輝く衣を着た2人の人がいる」(ルカ24:4)
ヨハネ「2人の天使がいる」(ヨハ20:12)

●墓に着いた時、「墓が開いていた」(マルコ16:4 ルカ24:2 ヨハネ20:1)
ところが マタイ28:2
「すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった」

これは意図的な加筆です。
歴史だと考える人はほとんどいないでしょう。

聖書は人間的な書物である証拠に溢れています。
それを肥大化させていては偶像崇拝の禁に違いないと思うのですがどうでしょうか?

http://blog.goo.ne.jp/b5550

 
 
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